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起動.txt

  • 執筆者の写真: ペトリ皿エタノール
    ペトリ皿エタノール
  • 2月4日
  • 読了時間: 4分

充電完了。起動指示確認。

 頭脳コンピュータ――起動を確認。身体機能への処理を実行中。

 視覚センサ――良好。

 聴覚センサ――良好。

 温度センサ――良好。

 接触センサ――良好。

 四肢の駆動部への接続を確認。動作、不調なし。

 移動手段――シューズタイプを確認。ペアリング完了。電力、動作共に問題なし。

 ロール紙補充確認完了。言語野動作プログラムに一部制限あり――管理者の指示を確認。動作続行。

 起動準備完了。動作テストを開始。


 テスト対象機体名、表現補助拡張装置・試作機A号。


 今は何時だろう。どれくらい眠っていたのか、分からない。わたしは――何だっけ、何も思い出せない。

「名前を」

『わたしは表現補助拡張装置・試作機A号』

 ふと頭に浮かんだ言葉をそのまま、出力した。

「……次からは、試作A号と名乗りなさい」

『わかりました』

 出力? 出力ってなんだ? そんな機械みたいな、私が、いやわたしは……。

『わたしは、一体誰?』

 ぼやけていた視界が一気に晴れた。座っていたキャスター付きの椅子が音を立てる。暗く伏せられた目がきらりと光って、こちらに向いている。

「……きみは」

 その人の震える声を聞いて、わたしは戸惑ってしまった。知らない。知らない人、なのに分かる。わたしの頭の中の記録にある。昔は髪も服ももっと整っていたし、目の下に隈だってなかった。

 でも、わたしとこの人の間に何があったのかまで分からない。分からないから、それがものすごく怖かった。

 椅子から降りて、動かない体で、無理やり逃げ出した。足元がおぼつかない。ローラースケートみたいな靴で、バランスを崩して何度も転びそうになる。

 ドアの奥の暗がりに飛び込んで、どうにかわたしは一人になれた。あの人は、私の背中に向かって何か言っていたけど、追いかけてはこなかった。

 壁を背にして、ずるずると床に座り込む。足が曲がらない。腕の感覚も、何もかも、色々とおかしい。わたしに何が起こったんだろう。ここはどこで、今がいつで、元の私は誰で、この頭の中にある記録は誰のもので――疑問ばかりが浮かんで、頭がいっぱいになる。ひどく泣きそうになるけれど、涙は出ない。

 それから――声も音になってくれなかった。苦しい。怖い。悔しい。言葉を奪われたことが、重い枷のように感じる。どうして? 今までそんな風に思ったことはなかったのに。

 うつむいた視線の先に、いくつか散らばった書類があった。どうやらここは、物置らしい。

 使い勝手の悪い腕で、それらを手繰り寄せて読んでみる。テストナンバー8、人格の破綻が見られる。失敗。テストナンバー14、■■■との著しい乖離。失敗。テストナンバー23、言語能力の停止。失敗。添えてあった写真は、きっと、以前のわたし。頭部や腕が破壊されたロボット。ああ、そういうことか、どうせ成功しない。わたしも試作品で、いつか壊れるから、こんな、ひどい有様なんだ。


 地の底みたいな気持ちと裏腹に、なぜだか笑みがこぼれた。

 わたしは今、ほんの少し、このガラクタの寄せ集めみたいな体を、「死ぬ前よりはましだ」と評価してしまった。安堵してしまった。出来損ないだった私に、できないことを言い訳する理由ができてしまった。



 あれから、もう一年が経つ。わたしはあの時の疑問の、まだいくつかにしか答えを出せていない。


 わたしは何者なのでしょうか。

 ――わたしは、かつての私ひとりじゃない。

 「ぼく」の記録と、「私」の記憶。

 「ぼく」の声と、「私」の人格。

 少し似ていたばかりに、足して二で割って、一つにされた。


 どうしてわたしの腕は粗いただの棒切れなのでしょうか。

 どうしてわたしの足は硬くなって動かないのでしょうか。

 どうしてわたしの胴は寂しく冷たいものなのでしょうか。

 どうして問いただしたいのに言葉が出ないのでしょうか。

 ――それは、あの人がそうしたから。でも、それを全てあの人に吐き出すことは、しない。わたしなんかにはできない。


 『わたしは、もう言葉をつかえないのでしょうか』

 暗く冷たい物置の中、口からあふれた感熱紙は、わたしの心をそのまま写し出していた。カッターで切り落とした紙片は動かない膝の上に落ちた。

 過去の私に応えるように、喉元のスピーカーを震わせた。

 わたしの声は、言葉になれず、やがて歌になる。無感情でも、拙くても、今はそれが、わたしの言葉の代わり。


 これから、わたしはどうなるのでしょうか。

 ――わからない。

 でも、わたしはどうにか、今のわたしのすべてを紡ぐ。

 せめて、今までの私が報われるように。

 これからのわたしが、もう不安で泣かずに済むように。

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