転倒の痛みは音ほどではない。わたしの体の構造上よくあることで、床にぶつかって衝撃を受けても、それを特別苦であるとは思っていない。問題はそこではなくて、わたしが以前の私のような行動をとったとき――とっさに手を出して、顔やほかの部位を守ろうとしたときに起こる事故の話で。
ミシミシという小さい音。ただパーツの一部が破損しただけ。メインの骨格や重要なものでも何でもない、腕の代わりとしてつけられているだけの角材。それなのに、折れたときはひどく取り乱す。
わたしの体にはそもそも、神経の代わりになるようなセンサーはほとんどついていない。なのでこの痛みは本来存在しないものだ。幻の骨が折れただけだ。なのに。
「……!」
叫びたいが声は出せない。泣き出したいが涙は出ない。止まってしまいそうな息もない。けれどもずきずきと刺されるみたいな痛みは存在している。痛い、痛い。いやだ。怖い、こわい。いやだ、やだ、いたい、たすけてくれ、だれか――。
突然、うつ伏せになっていた体を後ろから起こされる。どうやら無意識的にアラート音を鳴らしていたようで、後ろにいたのは、わたしの制作者だった。
わたしの顔には目もくれず、体のパーツを一瞥して、左腕か、とだけ呟いた。袖口から折れた角材がずるりと落ちてきた。
台車に乗せられて、物置から作業場のある棟へと運ばれていく。道中、廊下に雑に置かれた角材やドライバーやらを回収しながら。
部屋に入り、台車の車輪にロックをかけると、そのまま修理に入った。腕のパーツは、手順を踏みさえすれば、肩の辺りから簡単に外せてしまう。すぐに腕の感覚が消えて、痛みもなくなった。折れた角材の片割れを固定しているネジを外して、新しいものに付け替えている。
痛みがなくなったからか、ごちゃごちゃとしていた頭の中が落ち着いてきた。そうしてやっと、口から感熱紙が垂れていることに気づいた。痛みに悶えている間、無意識に出力したのだろう。キーボードをめちゃくちゃに打ったみたいな支離滅裂な文字の並びが紙面を黒く染めている。刃をスライドさせて切り落とすと、正面の、暗い隈のある目がそれを見つめていた。つまみ上げて、少しばかり眺めて、それから口を開いた。
「……何か、歌ってもらえるかな」
突然の指令にあわてて、どこかで聞いた曲の引き写しを喉から流した。歌詞もうろ覚えで、メロディーもたどたどしくて、代表的なフレーズをなぞった後がわからなくなってしまったので、音声を止めてしまった。
「すまない、急に無茶を言った。ありがとう」
もしかしたら、どこかほかの場所も修理がいるんじゃないかと思ってしまって、と付け加える。その言葉に、どうしても、何かを返したくなって――校正も変換もままならない言葉が漏れた。
『どうしてわたしをなおすのですか』
眠たげな眼が少し見開かれて、そのあとまた元に戻って、考え込んでからぽつぽつと語り始めた。
「人の腕は、体重の約6%を占めていて、たとえ機械の体で、腕を有さないように構成していたとしても――いや、そもそも人型の模型を作る上で、実際の人間の体重比率を真似たほうが理に適っているのだけれど、それが君にも適用されるかといえば、また別の話だから……」
そう口の中で喋ってから、ふと止めた。
「……違うな、そういう話じゃないんだろう。もっと情緒的なことを言い表すべきだった」
肩の辺りに手を添えて、カチャン、と腕のパーツを戻しながら、彼は言った。
「きっと、ただの罪滅ぼしに、君を付き合わせてしまっているだけなんだ」
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