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額縁の中の砂嵐

 遠い時間、いつのことだったか、熱い砂漠の国で見た竜巻を思い出していた。足元の砂を巻き込みながら踊る姿がとても綺麗で、まるでおれだけのために用意されたようだ、と錯覚していた。
 おれはこの竜巻に取り込まれたって死ねないんだ。他人から勝手に盗んで、食い潰しておいて、それを自分から捨てるなど、到底許されることではないから。

 ――どうしてあんな昔のことを、と、薄く目を開いて、己の靴の爪先を見つめながら考える。節くれ立った指は乾いた風に冷えて、おれは何度も、がりがりと掻きむしった。血が出てからひどく痛むことに気が付いて、やめておけばよかった、と、掌で拭い取る。
 人の声がしなくなった家は、とても寂しい。繰り返したとて慣れない。経年劣化で傷んだ畳の目に、砂の粒が入り込む。おれはそれを踏まないように避けて、家を出た。元は人間だったものだ。
 賑わう繁華街を避けて、寂れた商店街を歩いていく。曇ったショーウィンドウに映った己の姿を睨みつけた。ぼさぼさになった暗いブロンド、深緑の目元はいつのものか分からない涙の跡で赤くなっていた。怪物のくせに、一丁前に人間のような形をしているのが、本当に憎くて苦しくてたまらない。
 あの老人は、きっと失踪という形で処理されるのだろう。おれが食い尽くせば、人は形を崩してしまう。砂になって消えてしまう。存在していた痕跡――遺体も、記憶も消されてしまう。
 おれは、自身がいつ生まれたのかが分からない。だから、おれが食べた人間の数も、おれがこれから生きるであろう時間も、おれには分からない。一体あとどれだけの苦しみを抱えていなければならないのだろう。何度も手放してしまいたい、と考える。
 暗い路地を見つけて、壁にもたれるように座り込んだ。冷えた空気も地面も、体に突き刺さる様だった。人の温かさというものは、一度知ってしまえば、二度と忘れることはできない。けれど、おれが欲してはならない。今日は眠れるだろうか、と、目をつむる。
「――ねぇ、そんなとこにいたら風邪ひくよ」
 突然かけられた声に、無意識に肩が跳ねる。恐る恐る見上げた先には、コートを着た少女がいた。顔の左半分は、長く伸ばした黒髪とマフラーで隠れている。
 ――しかし、それらの隙間から、赤黒い痣が覗いているのは、逆光で霞んだ目でも分かった。

「トウガミナオ、ナオでいいよ」
 顔の痣は生まれつきだ、と、ナオは言った。
「父も母も、気にすることない、と言うけど――誰が何と言おうと、私はこの顔が嫌いだ」
 落ち着いた淀みのない声は、それが何度も繰り返した言葉であることを示していた。
 ナオの家は、外と同じで静かだった。家族とは離れて、一人でこの部屋に暮らしているらしい。カーペットやベッドを汚すのは嫌だったから、壁際のフローリングに腰を下ろした。
「そんな隅っこにいなくていいのに」
 熱いから気を付けて、と、マグカップを手渡された。恐る恐る受け取ると、中身はホットミルクだった。
「明日雪降るらしいからさ。まぁ、あんまり長くは泊められないけど」
「……そうか」
 おれは、ナオの善意が怖くなった。人間が皆、おれを化け物扱いしてくれればいいのに、と思った。優しい人ほど手を伸ばす。いい人ほどすぐ、砂になってしまう。無意識に手や腕を掻きむしる。いつだったか手を握ってくれた人を思い出す。目の前で砂になってしまった人のことを思い出す。それを見て、おれに石を投げた人の顔を思い出す。おれを木の棒で叩いた人を思い出す。おれの頭を斧で割ろうとした人のことを思い出す。その通りだ、おれは罰せられるべきだ。奪った分だけ痛めつけられるべきで――。
「腕ひっかくのやめな、痕になると悪い」
「……今更」
「今更、じゃない。薬塗って触らないようにしとけば、すぐ治る」
「やめろ!」
伸ばした手がこちらに触れる前に、声を荒げて牽制する。怖がられたって、追い出されたって構わない。頼むから、これ以上、おれに苦しみを与えないでくれ。
「――……おれに触ると、砂になって死ぬぞ」

 変なやつを拾ってしまった、と、子供のような寝顔を眺めながら思った。寒そうにしていたから毛布を渡したら、壁にもたれて座ったまま眠ってしまった。
「……もっと、ましな言い訳があったでしょ」
私は小さく、誰に伝えるつもりもなく呟いた。いちいち傷ついてなどいられない。別に、このようなことには慣れている。この顔のせいで、近寄るな、だとか、触るな、だとか、何度言われたことか。
 塔上の家はひどいものだった。両親も兄弟も、口では「気にするな」と言うけれど、距離を取られているのは子供の私でも分かった。病気が分かってからはより酷くなった。体を気遣って、とは聞こえのいい理由だ。余命まで金を使うだけの穀潰しとでも思っているのだろう。どうせ誰からも望まれていない命だ。悲しむ物好きなど――いや。
 子供らしいと思ったのは、頬についた涙の痕のせいか。私に怯えていた――というより、私が本当に砂になってしまうことに怯えていたのかもしれない。記憶の中にあったのは、数分前に声を荒げた彼の、今にも泣き出しそうな表情だった。

 皮膚にじりじりと焼き付けるような感覚を覚える。口の中が乾いて、頭がくらくらして、足元は歩きづらくておぼつかない。
 遠い時間、いつのことだったか、熱い砂漠の国で見た竜巻を思い出していた。足元の砂を巻き込みながら踊る姿がとても綺麗で、まるでおれだけのために用意されたようだ、と錯覚していた。
 ――あれは本当に、ただの砂漠の国だっただろうか?
 途端に呼吸ができなくなって、涙が滲む。おれは覚えていないうちに、一体何人食べたのだろう。何百年と数えたはずなのに、おれの体は息絶える気配もない。どうして、どうして、どうして。――ばちん、と突然、音と痛みが走った。思い切り頬を叩かれた。開いた眼の先にいたのは、ナオの険しい顔だった。
「ごめんね、触られたくなかったかもしれないけど……うなされてたから」
「なん、で……」
 おれはどれだけ眠っていた? どれだけ、おれは目覚めなかった? その間、ナオは何度おれに触れた? 頭が止まりそうになるほど、嫌な考えが巡った。とにかく、離れなきゃ――体をぐい、と引き寄せられた。首や背中に、強く温度を感じた。
「だめだって、だから――」
「私の方が今更だ。治らない病気なんだ。医者からの余命宣告なんて、とうに過ぎてる」
もういいんだ、明日生きてる保証もないんだから、などと、そんなこと言わないでほしい、と、おれは止めることもできない。
「私が無駄に使い潰すより、誰かに受け取ってもらった方が助かる。……ねぇ、一つ頼みがあるんだ」
「……なに」

「――遺影を取り換えてほしいんだ。葬式をする前に。大丈夫、私は砂粒になったりしないから」

 

「結局、焼かれて砂粒になっただろ」
 花束は供える前に萎れてしまった。砂にならなかっただけましか、と、落ちた白い花弁を拾う。
 おれはナオの遺影を入れ替えることはできなかった。棺桶の前で泣く彼女の両親を見て、他人ごときが踏み込める場所じゃない、と、おれは式場を後にした。
 小さな黒い縁の写真立てには、ナオの凛々しい、痣のない横顔が変わらずにあった。節くれ立った指の先で、写真の中の輪郭をなぞる。
「おれは、お前のせいで当分死ねなくなったよ」

 遠い時間、いつのことだったか、熱い砂漠の国で見た竜巻を思い出していた。足元の砂を巻き込みながら踊る姿がとても綺麗で、まるでおれだけのために用意されたようだ、と錯覚していた。
 おれは、おれのせいじゃなかった、と今も己に言い聞かせているのだ。

 

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